フォトグラファー・岡本尚文

『沖縄02 アメリカの夜 A NIGHT IN AMERICA』』へのコメント
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写真集『沖縄02 アメリカの夜 A NIGHT IN AMERICA』

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岡本尚文写真集 沖縄02 アメリカの夜

定価:2160円(税込)
並製:60ページ A4
発行:2016年9月22日

著者:岡本尚文
編集:ライフ・ゴーズ・オン
装幀:松永路
テキスト:岸政彦
翻訳:栗田千左子
リライト:山本和生

許可なく、掲載されている写真、テキストの転載を禁じます。

発行所:有限会社 ライフ・ゴーズ・オン
発行人:岡本尚文
〒179-0083
東京都練馬区平和台2-28-2 N-FLAT201
TEL:03-6913-0032
FAX:03-6913-0032
e-mail:life-goes-on@okinawa.email.ne.jp
ISBN978-4-9904437-1-9
©2016 岡本尚文


Photographs by Okamoto Nobumi
Edition by life-goes-on
Designed by Matsunaga Michi
Text by Kishi Masahiko
Translation by Kuruta Chisako
Rewrite by Yamamoto Taro

Publishing by life-goes-on inc.
201,2-28-2,Heiwadai,Nerima,Tokyo,JAPAN
Tel: 81-3-6913-0032
http://okamotonaobumi.com
e-mail life-goes-on@okinawa.email.ne.jp
ISBN978-4-9904437-1-9



  ぼくは返還直後の沖縄の当時のコザ市の夜の通りを知っています。
ライブの主催者が案内してくれたんだと思います。
昼間の静寂に比べて、夜のコザはそれはそれは混乱の極みに見えました。
ただ慣れていなかったからだと思いますが、大変な所で生きているんだなあ、と強く思いました。
今回の写真集には人は映っていませんが、同じような混乱と緊張が夜に感じられます。
人がいない分、かえってそれがむき出しになっているのかもしれません。
そして人がいない分だけ、過去と未来を感じさせます。現在というのは人間しか持ちえないものかもしれないです。写真集でそう感じました。
今度沖縄に行ったとき、この写真集の中の沖縄を探してみます。

友部正人
ミュージシャン
プロフィール
HP

岡本が友部さんについて書きました
岡本尚文ブログ
琉球新報「晴読雨読」

『沖縄02 アメリカの夜 A NIGHT IN AMERICA』によせて

  何だかうまく説明できないのだが、岡本尚文さんと一緒にいろんなことをしていても、写真家と一緒にいるような気がぼくにはあまりしない。
もちろん岡本さんは写真を撮影するフォトグラファーであり、動画を撮影するビデオ・カメラマンである。
ぼくの歌を映像で記録してインターネットで発信しようと、岡本さんが始めてくれた「Dig Music Gazette」では、すでに13曲を撮り終えているし、これまでにたくさんのスチール写真も撮ってもらった。
目の前にはビデオ・カメラを回し、スチール写真を撮る岡本さんがいるのだが、歌っているぼくは写真家と一緒にいる気がしない。
むしろミュージシャンと一緒にいるような、岡本さんと一緒に演奏しているかのような、そんな気持ちになってしまう。
  これまた言葉足らずの説明になってしまうが、岡本尚文さんは歌うように、楽器を演奏するように、写真を撮っている人、撮影をしている人なのだとぼくは感じてしまう。
その表現は、写真というよりもむしろ音楽なのではないかと思ってしまうのだ。
岡本尚文さんの歌、すなわち写真は決して派手ではないし、饒舌でもない。むしろ寡黙で、静謐な印象を受ける。
新しい写真集『A NIGHT IN AMERICA 沖縄02 アメリカの夜』を見ても、そこにはほとんど人が写っていなくて、ただ沖縄の夜の街の風景が捉えられているだけだ。
歌で言うなら、歌詞がほとんどなくて、演奏の合間に沈黙が忍び込んでくるような歌。
しかし言葉数や音数のうんと少ないその歌は、時としてとんでもなく大きくて、強くて、激しいものを伝える。
岡本さんの写真も、同じ意味でとても雄弁で、ひっそりとした夜の風景の向こうには、撮影者の熱い思い、そして沖縄の複雑な感情が渦巻いている。
理屈ではなく、説明ではなく、言葉になるものではなく、ひりひりと痛む魂の叫びのようなものを伝える岡本尚文さんの写真。
 三たびうまく説明はできないのだが、岡本さんの写真は、音楽で言うなら、パンク/ニュー・ウェーブのようにぼくには思えてならない。

中川五郎
ミュージシャン 60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、歌い出す。 70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動の中心に。 小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説や『ボブ・ディラン全詩集』(ソフトバンク)などさまざまな翻訳も行っている。 1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でさかんにライブを行なっている。
GORO NAKAGAWA WEBSITE
岡本との共作に「Dig Music Gazette」がある。ふたりがコラボレーションして歌と映像を届けるシリーズ。

岡本尚文さんの写真集によせて

  沖縄の風俗業界で働く若い女性たちの聞き取り調査をしていると、彼女たちが暴力の被害者であることがよくわかる。彼女たちは、基地のそばに住んでいる男たちからの暴力をうけて育ち、子どもを生んで、あっという間に大人になる。
  街を分断する基地のフェンスは、米軍を守るものであって、暴力から逃れようとする彼女たちが逃げ込める場所ではない。だから彼女たちはフェンスのそばを、たったひとり裸足で逃げる。
  岡本さんが撮る、オレンジ色の基地の光が照らすフェンスで分断された無人の街は、暴力を受けたその場から、何も持たずに逃げ出した彼女たちが見た街である。無機質で冷たい。どこからも助けはやってこない。
  だがそれは、今の沖縄の景色につきるものではないだろう。私たちの母や祖母といった、沖縄で暮らす女性たちのみた街もまた、同じような景色だったのだろう。
岡本さんは、1950年代から60年代に大量につくられた基地内外の「外人住宅」とともに、基地返還後、リトル・アメリカと銘打つ北谷町の夜の姿を同時に記録する。また別の写真集『沖縄01 外人住宅』は、沖縄の土地で、星条旗と日の丸がともに風にたなびく姿を記録する。それらは軍隊という暴力装置とともに生かされ、それゆえに暴力を内包せざるをえない沖縄の歴史を刻印した記録である。
  岡本さんの撮る強い光に満ちた沖縄の写真は、一見すると単にアメリカンナイズされ異国情緒あふれた街の記録のようにみえるだろう。だが沖縄の夜の暗さを知るものには、幾重にも堆積した暴力の記憶と、新たな暴力の予兆に満ちた街の記録に見えるだろう。
  沖縄の地にこれ以上、フェンスで区切られた場所を造るわけにはいかないとぎりぎりの闘いを続ける辺野古に、高江に思いを馳せて手にとられるとき本書は真の力を持つ。贅沢で華美な装幀を拒否し、移動する身体に合わせて創られた書だ。これは、闘いの現場に伴走する書でもある。

上間陽子(琉球大学 教育学研究科教授)

沖縄。
オレンジ色の夜景。 そこには基地のゲートやフェンスというはっきりとした形が出現したり、古びた建物の看板など、かつて沖縄とアメリカが交わした蜜月の痕跡も浮かび上がる。
写真には、よく見ると光の航跡となって写り込んだ米軍ジェット機やオスプレイ、またはフェンスの前でたむろする沖縄の子ども達の姿がある。
どれもが沖縄の日常として今、存在している。
『アメリカの夜』というタイトルはフランソワ・トリュフォーの映画から想起した。
古い映画では昼間に夜のシーンを撮るためにブルーのフィルターを装着して「夜」を撮影する。
フェイクな「夜」。
そのことを浅川マキは『アメリカの夜』という曲で歌った。
私は音楽をきっかけにアメリカの文化に強く影響を受けた。
それは「格好の良い」フェイクなアメリカでもあるが、この島の深淵には別の顔が潜んでいる。
沖縄とアメリカ、日本、そして自分との関係。
それが何なのか、答えを探している。
だから写真を撮り続けて「採集」する。
夜に現れる沖縄のアメリカを。
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2008年に発刊した『沖縄01 外人住宅』に続く2冊目の写真集。
引き続き、沖縄とアメリカ、そして日本についての写真。

今回の写真は、2009年から2016年の間に沖縄本島で撮影された。
沖縄の夜に浮かび上がる「アメリカ」がテーマだ。

いまは寂れてしまった大通り。
かつて、多くの米兵が街に繰り出した。コザや砂辺、金武周辺にはその残り火がいまも微かに燃えている。
夜9時過ぎの夏の晴天、浦添上空をゆっくりと流れて行く雲。オスプレイが一筋の光を残し、低周波の音を立てて通り過ぎていく。
また、辺野古の海上に写る赤い軌跡。 いわゆる辺野古のフェンス、砂浜と海、そして海を照らす月明かりが写っている。 今では、コンクリートで固められたフェンスがこちら(日本)とあちら (アメリカ)を隔てているが、そこは数年前まではフェンスは鉄条網であり、反戦の意思表示の リボンが結びつけられていた。
凪いだ海の上の赤い点線が左右に写し込まれている。この赤い点は、夜の10時過ぎに辺野古の海上を行く米軍ヘリの軌跡。
言葉で言われなければそれは綺麗な軌跡でしかない。
写真と、言葉について考える。
望んだ訳ではなく戦争によってアメリカと出会ってしまった沖縄。
その歴史のなかの愛と憎悪。
ノスタルジーや美しさと反基地。

歴史から消えていくもの。
嫌悪する中で、それでも尚、美しさやノスタルジーが浮かび上がるということは、どういう事なのか?
「癒しの島」沖縄の日常になぜ今もアメリカが浮かび上がるのか?
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テキストは『同化と他者化ー戦後沖縄の本土就職者たち』で沖縄と日本について鋭い考察を行い、『断片的なものの社会学』で紀伊国屋じんぶん大賞を受賞した社会学者の岸政彦さんにお願いした。
書き下ろし。届いた原稿は7000字。
私も岸さんも内地の人間として沖縄と関わっているという自覚のもとに、沖縄とアメリカ、また、日本について、真正面から向かい合った。
テキストが単なる写真の解説ではなく、相互に響き合い、ノスタルジーや美について思いを巡らす、それを形にしてみようと思った。
装幀はシンゴジラ公式記録集『ジ・アート・オブ・ゴジラ』、昨年度大きな話題になった蔡國強展の図録など、美術関係の書籍の装幀を数多く手がける松永路さん。
今回の写真集は所謂上製本の写真集は敢えて目指さずに、1960年代後半、活発に出版された日本の写真集を意識して作成された。

岡本 尚文

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写真集『沖縄01 外人住宅 OFF BASE U.S. FAMILY HOUSING』

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岡本尚文写真集 沖縄01外人住宅

著者:岡本尚文
定価:5400円(税込)
上製:80ページ 280mm×280mm

編集:畑中章宏
装幀:名児耶肇(warren)
製版:谷口倍夫
テキスト:小倉暢之(琉球大学工学部教授)
地図作成:尾黒ケンジ
翻訳:末岡秀子
印刷・製本:株式会社 サンエムカラー
発行所:有限会社ライフ・ゴーズ・オン
発行人:岡本尚文
〒154-0002
東京都世田谷区下馬2−26−15下馬ハイム108
TEL 03-5486-8889
ISBN978-4-9904437-0-2
©2008 岡本尚文

 表紙・造本の細部ディテールを写真クリックでご覧になれます。

沖縄「外人住宅」の光と影

1985年にヴェトナムのホーチミン(旧サイゴン)を訪れたとき、戦勝十周年の数々のイヴェントを前に、街は華やいだ空気に満ちていた。
今とくらべようもなく、人々のなかにアメリカに対する憎悪や嫌悪が残っていたに違いないのだが、街なかでは、朝から驚く程の大音量でカーペンターズの曲などアメリカのポップスが流れていた。スピーカーの割れた音も気にすることもないくらい、この地の人は甘い音楽が好きなのだろうと感じたと同時に、つい最近まで戦争をしていた相手の国の音楽を「政治と文化は別」とばかりに流し続ける彼らに、生きる逞しさのようなものさえ感じた。そして、その帰りに初めて那覇に立ち寄った。
1960年以降のヴェトナム戦争のただ中、沖縄がアメリカ軍の前線基地としてあった時代、米軍関係者の増加にあわせて、いわゆる「外人住宅」が現地の建設業者によって次々と建てられた。基地を抱える中部を中心に1972年頃には約1万2000戸にも達した。
「外人住宅」は基地内住宅をベースとした、台風対策としてのコンクリートブロックの壁式構造になっている。この住宅建設に関わった多くの地元工事関係者によって、その後の民間コンクリート住宅も建てられていった。
ヴェトナム反戦、基地反対闘争に平行して、こうした建設を中心とした経済が地元を潤したことを大きな矛盾として抱きつつも、政治的に強制されたなかでの逞しい生き方の一つとしてとらえることができる。
これらの建物は、戦後の沖縄の人たちにとって憧れの対象でもあったが、本土復帰とともに建設は終りを告げ、40年以上経った今では、老朽化が進み、近い将来取り壊される運命にある。
「外人住宅」は、単に外国の住宅を模したというだけでなく、沖縄ならではの工夫も加えられた。「花ブロック」と呼ばれる透かし模様のコンクリートブロックが強い日差しをさえぎり、風通しを良くする外壁として使われ、外観的魅力として建物を特徴づけている。
この「花ブロック」は、戦後、廃墟と化した住居復興に尽力し、歴史的建造物の調査・研究・復元に務めた沖縄を代表する建築家・仲座久雄(1904-62)による考案であり、仲座はコンクリート住宅の普及に努めた。
異文化を自国の文化と融合させながら新しい文化を形成していく。音楽であれ、美術であれ、建築であれ、異文化が混合した所に新しい花が咲く。
本土復帰までの27年間のアメリカの支配は文化的、経済的な影響の反面、住民の大きな反感や憎しみを生んできた。そして復帰後もなお、変らぬ基地の土地支配や米兵による犯罪という問題が続いている。
沖縄特有の眩い陽光のもと、「外人住宅」や「沖縄建築」の写真に見られるあっけらかんとした光と影の裏側には、実は地元の人々の愛憎が深く刻まれているように思えるのである。

伊勢功治[いせ・こうじ]
富山県生まれ。グラフィク・デザイナー。2013年、「マリオ・ジャコメッリ写真展」(東京都写真美術館)デザイン担当。著書に写真評論集『写真の孤独』(青弓社)、詩画集『天空の結晶』(思潮社)。『北方の詩人 高島高』。

「アメリカへの憧れと反感を象徴するかのように建つ「外人住宅」、そこに写り込んでしまう沖縄の光、風、植物がミックスされた絵画のような写真。
クレオール語がもし東洋で、宗主国をアメリカとして、写真メディアの中で生まれたならば、こういうものになるのかもしれないと思った。
福生・相模原・横浜と、東京郊外の米軍ハウスに親しんだ同世代として、沖縄の中にそれを見つめる目が新鮮で、印刷・製本とも質の高い写真集です。」

小畑雄嗣(写真集『二月』著者)

1945年、沖縄戦終結。戦死者およそ20万人。
沖縄は日本の独立の代償としてアメリカに提供され、米軍による軍事的支配が始まる。
1946年4月、沖縄民政府設立
1950年6月、朝鮮戦争勃発
1952年4月、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効。
日本は独立するが、沖縄は日本から切り離され、米軍の施政権下におかれる。
いわゆる「Key Stone of the Pacific太平洋の要石」として、冷戦下の軍事的拠点となる。
1960年、ヴェトナム戦争勃発
1972年、沖縄返還

こうした戦後沖縄の歴史の中で、「外人住宅」は必然的に誕生した。
「太平洋の要石」として沖縄の基地は増強され、同時に軍人軍属およびその家族も増えていった。
そのため基地内の住宅施設ではそれらの人員を収容しきれなくなり、民間による外国人(アメリカ人)専用の賃貸住宅が建設されるようになった。

この写真にあるコンクリートスラブのフラットルーフ、鉄筋とコンクリートブロックを使用した「外人住宅」は1958年頃から建造され、以後1970年前半まで増えつづけた。
「外人住宅」は基地周辺に存在した。その北端は石川市(現在のうるま市)、南端は佐敷町であったが、嘉手納や普天間などの大規模な基地を抱える中部を中心に多くの住宅が建設された。
軍の要請による「外人住宅」の建設には土地建物の広さ、素材の選定や間取り、付帯設備など様々な条件が義務づけられ、沖縄の民間業者は米軍指導のもと、手探りで住宅建設を開始した。
代表的な住宅は、一戸あたりの総面積が約300m²。そこに100m²前後の建物、エアコン付きの3ベッドルーム&リビング、キッチン&バス、それにユーティリティールームと呼ばれるメイド用の作業ルームが備わる。それ以外の敷地は広々とした芝生のガーデンと駐車場として使用された。

沖縄とアメリカ。それは、沖縄の人々が自主的に選び取ったものではなく、戦争と占領によって強制的に出会わされた。そして、60年以上たった今も続く「占領」と暴力。
アメリカとの間で、逆説的に産まれた「文化」。そして、沖縄と写真を思考すること。
その始まりとしての「沖縄01『外人住宅』」。

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