ライフゴーズオンミュージックエキスプレス

ディグミュージックガジェット10

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Dig Music Gazette10「Me And Bobby McGee」

 中川五郎さんの「Me And Bobby McGee」を聞くと『真夜中のカーボーイ』を思い出す。
ジョーとラッツォの友情。フロリダへ向かう旅。

 1960年代後半から70年代前半にかけての、自由を求める気持ちを真っ直ぐに表したのがこの「Me And Bobby McGee」だ。

 この歌が発表されて40年、五郎さんはこの歌を歌い続け、この歌を生きて来た。
今も旅をしながら歌い続けるフォークシンガー中川五郎さんの「Me And Bobby McGee」を聞いて、僕は何度も自由について考えるのだ。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

 クリス・クリストファースンとフレッド・フォスターが共作した「Me And Bobby McGee」を初めて聞いたのは、1970年に発表されたクリスのデビュー・アルバムだったのか、同じ年に発表されたランブリン・ジャック・エリオットやゴードン・ライトフットのアルバムでのカバーだったのか、今となってはその記憶は朧だが、この曲にすっかり心を奪われてしまったのは、1971年初めに発表されたジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』に収められた彼女のカバーを聞いた時だったことは間違いない。
 すぐにもぼくは日本語に訳して歌い始め、その頃はしばらく歌うことをやめていたのだが、1971年の中津川フォーク・ジャンボリーの加川良さんのステージに飛び入りで出て日本語の「俺とボビー・マギー」を歌い、70年代初めのぼくの「復活」の歌となった。
そして1972年の初めにはキング・ベルウッド・レコードから「ミスター・ボージャングル」とのカップリングでシングル盤を発表することもできた。

 この歌を初めて聞いた時、はたちをちょっと過ぎたぼくにとって、失うものが何もない自由な状態でヒッチハイクの旅を続ける生き方は、憧れでしかなかった。しかしそれから40年間この歌を歌い続けているうち、そのかたちは微妙に違っているとしても、いろんなものを失い、全国を歌って旅することで何とか生計をたてている60歳を過ぎた今のぼくにとって、「Me And Bobby McGee」の生き方は、夢や憧れではなく、かぎりなく現実に近いものになったという気がする。そして歌い続けるうちにこの歌は自分の中、うんと奥深くまで入り込み、完全に自分の歌になったと思う。

「ハンカチ」が「バンダナ」になったり、「あいつと別れてしまった」が「あいつを行かせてやったのさ」になったりと、歌う時の気分で歌詞は変わったりする。日本語に初めて訳した時、「ディーゼル」という言葉をディーゼル・トラックではなくディーゼル機関車と勘違いして、「ボビーは汽車にヒッチハイク」と歌い、それでレコーディングまでしてしまったのは、ほんとうに恥ずかしいかぎりだが、今となっては何とも懐かしくほろ苦い思い出だ。

(中川五郎)





ディグミュージックガジェット09

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Dig Music Gazette 09「水と光」

 1976年に中川五郎さんが『25年目のおっぱい』を発表して36年がたった。
 このアルバムは五郎さんが「生活」と真正面に向き合って作った初めてのアルバムだ。
その頃、同じように「生活」を始めた同世代のリスナー達はこれをフェバリットアルバムに上げることが多く、このレコードと共に年を重ねていった人達は多い。
 1975年、沖縄・渡嘉敷島での出来事から始まった「水と光」が、2012年の沖縄で歌われる。
 木々の囁きと風の音、鳥のさえずりとガジュマルの木の隙間から射す光と共に歌う五郎さんの姿が、僕たちの過ぎ去った何十年かに繋がって行く。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

今年2012年1月3日、このDig Music Gazetteの撮影と何か所かでライブをするために沖縄に向かった。沖縄に着いて三日目の5日の午前中、おいしいパンを食べようということで、フォトグラファーの岡本尚文さんと一緒に宜野湾市嘉数にある宗像堂へと出かけた。自家製天然酵母でおいしい石窯パンを作る宗像堂のみかさんとは、彼女がまだ東京にいる頃に下北沢で会っていた。
 宗像堂の建物はもともと米軍ハウスで、庭が広く、大きな木が茂り、裏の崖を下って行くととんでもない秘境があったりする。おいしいパンをいただき、サングリアを飲んでゆっくりしているうち、ここで撮影しようということになり、ギターを取り出し庭で二曲ほど歌ってみた。
 そのうちの一曲が「水と光」で、作ったのは、1975年、今から37年前になる。こんな古い歌を久しぶりに歌ったのは、この曲が沖縄と大いに関係があるからだ。1974年の春にぼくはその時の連れ合いと一緒に沖縄に来て渡嘉敷島に行き、そこの海辺で歌詞のようなことをして、75年の3月初めに娘が誕生した。
 初めての自分の子供がこの世にやって来ることの喜びと不安とを正直に歌ったこの歌を、その時の赤ん坊はすでに30代半ばになってしまったが、沖縄で今一度ぜひ歌ってみたかった。思い出の海辺ではないけれど、宗像堂の緑に包まれた庭で、鳥たちにも参加してもらい、その頃のことやそれからの長い歳月の中で変わってしまったいろんなことを思い浮かべながら、ぼくは大好きなこの歌を歌うことができた。

(中川五郎)



ライフ・ゴーズ・オン ミュージックエキスプレス ブートレグ01

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life-goes-on Music Express Bootleg 01「娘ジントーヨー 」勢理客オーケストラ

今年の1月、ミュージシャンの中川五郎さんとDig Music Gazetteと名付けた動画の撮影を沖縄で行った。
その時に中川さんが沖縄でライブをする場所のブッキングをしたのが、浦添市勢理客(じっちゃく)にあるライブハウス「groove」のオーナー上地一也さん。
上地さんはライブハウスのオーナーでもありながらベース奏者としていくつかのバンドに参加している。
その中で自らがリーダーとして活動しているバンドが勢理客オーケストラだ。

1月に会った時に感じるものがあって、ぜひとも音と映像でコラボレーションしたいと思い、その後Twitterなどでやり取りし、お互い次回の沖縄行きで何か出来ればと話し合っていた。
3月の滞在時に運良く勢理客オーケストラのライブが「groove」で行われるというので、取り敢えずハンディのカメラを1つ持って収録したのが今回の映像。
何の打合せもなくカメラをフリーな状態でフワフワと泳がせたワンシーン・ワンカットの映像であり、完成品というよりは試作のセッション=Bootlegという感じだが、これを叩き台にしてまた新たな収録が出来ればと思っている。

勢理客オーケストラはI.C.Pオーケストラやグローブ・ユニティー・オーケストラ、生活向上委員会などを思い出させる。
フリーな演奏ではあるけれど、実は上地さんのメロディアスなベースラインが基調になっている。
今回アップした「娘ジントーヨー」は沖縄の偉大な作曲家普久原恒勇さんの作品であり、勢理客オーケストラの演奏の中では異色の作品だと思う。
CD『普久原メロディー』で既に共演しているゲストのKINOさんの声がバンドの音と拮抗して、沖縄の歴史を記憶するフリーミュージックの音を奏でている。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

勢理客オーケストラ
田原幸治(T.sax)
二宮賢司(T.sax)
桑原真理音(A.sax)
波平雄太(guitar)
城間和広(drums)
上地gacha一也(double-bass)
ゲストKINO(vocal)

勢理客groove
http://www.cosmos.ne.jp/~groove/





ディグミュージックガジェット08

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Dig Music Gazette 08「同じ目の高さで」

たぶん、ここ1,2年のうちに再開発のため、取り壊されて無くなってしまう那覇の農連市場。
ここで今年の1月、中川五郎さんと「同じ目の高さで」を収録した。
どこかアジアのすたれた街角のような橋の上、沖縄で「アコークロー」と呼ばれる夕凪の時。
段々と辺りが暗くなって行く中を走る車、おしゃべりしながら横切る人たち、川の中を何かが飛び跳ねる。

街の中で世界の子ども達の歌が歌われる。
その歌は世界中に届くだろうか。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

2000年5月、横浜の写真家、永武ひかるさんは初めて東ティモールを訪れた。独立を巡る紛争で破壊された町や家々の風景を目の当たりにし、虐殺や恐ろしい暴力事件の話も耳にしたが、彼女の心を強く動かしたのは、瓦礫や廃墟の中でも、目をきらきらと輝かせて笑っている子どもたちの顔だった。
 そこで永武さんは再度東ティモールを訪れることになった時、子どもたちのためにレンズ付きのフィルムを100個持参した。それを子どもたちに渡し、初めて写真を撮ることで彼らに表現の喜びを覚えてもらい、子どもたちの撮ったそれらの写真を写真展や写真集でみんなに伝えることで、遠く離れた場所の子どもたちがどんな場所で、どんな表情で、どんなふうに生きているのかを知ってもらおうと考えたのだ。こうしてワンダアイズプロジェクトがスタートした。
 その後ワンダーアイズプロジェクトは、ウズベキスタン、オーストラリアのアボリジニ居住区のドゥーマジー、台湾の蘭嶼島(らんゆうとう)、ブラジル、モザンビーク、徳之島などなどの子どもたちと一緒に行なわれた。2006年の初めにはアフリカ、ケニア難民キャンプの子どもたちとの写真プログラムが実施され、その時に子どもたちが撮った子どもたちの写真を集めて、夏に『For A Life  アフリカ難民キャンプの子どもたちが写した世界』というタイトルで、東京で写真展が開かれることになった。
 その写真展に向けて何か歌が作れないかと永武さんに言われ、ケニアの難民キャンプでのプロジェクトだけではなく、それまでのすべてのワンダーアイズプロジェクトでの子どもたちが撮った子どもたちの写真をぼくは見せてもらった。そこでぼくが思ったり感じたりしたことを歌詞にし、それに頭脳警察のPANTAさんが曲をつけてくれ、そうして生まれたのが、「For A Life」と「同じ目の高さで」の2曲だ。
 今年のお正月、沖縄で岡本尚文さんとDig Music Gazetteの撮影ができることになった時、どうしても沖縄で歌いたいと思った歌のひとつが「同じ目の高さで」だった。歌の中には、ワンダーアイズプロジェクトが行なわれたさまざまな国や場所の名前が歌い込まれているが、もちろんそれ以外の場所で生きる世界中いたるところの子どもたちのことを思ってぼくはこの歌を歌い続けている。
 みんな同じ子ども。「特別」な子どもなんて地球の上のどこにもいてはならないのに...。

ワンダーアイズプロジェクトのホームページ
http://www.wondereyes.org/index.html


(中川五郎)



ディグミュージックガジェット07

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Dig Music Gazette 07「腰まで泥まみれ」

1969年に中川五郎さんが「腰まで泥まみれ」を発表して40数年が経つ。
その長い間にはこの歌を歌わなかった時期もあったのかもしれない。

何度も終わり、はじまる歌。何度も歌い直される歌。

昨年の東日本大震災からもうすぐ1年。
その後の原発事故からも1年。
僕はあの時に感じた気持ちを持ち続けていられただろうか。

この歌が歌われない世界がやって来るのが一番よいのだろうと思う。
でも、その世界がまだやって来ないのなら、この歌は何度も何度も歌い直されるのだろう。
東京や沖縄や福島、そして、この歌が必要とされる場所で。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

Dig Music Gazetteの主宰者でフォトグラファーの岡本尚文さんから2011年の暮れから2012年の初めにかけて沖縄に行くと知らせを受け、それに合わせてぼくも沖縄に行って沖縄でDig Music Gazetteの撮影ができたらいいなとすぐに思いついた。ぼくは2012年1月3日から8日までの6日間沖縄に行くことに決め、行くなら撮影だけでなくぜひライブもやりたいと浦添市勢理客(じっちゃく)でGrooveというライブ・ハウスを開き、ベーシストとしてさまざまなバンドやセッションで大活躍している沖縄の親しい友人、ガチャピンこと上地一也さんに連絡をし、Grooveだけでなく沖縄市のプレイヤーズ・カフェや那覇栄町市場のサワディーなど、3か所 でのライブを決めてもらった。宿泊は岡本さんのところと那覇の平和通り商店街にあるゲスト・ハウス「An庵げすと・いん」で、「An庵げすと・いん」は、2010年の秋に「ピース・ミュージック・フェスタ in 辺野古」で沖縄に歌いに行った時、大変お世話になり、今回もすぐに連絡をして泊めてもらうことにした。「An庵げすと・いん」の一階のフリー・スペースでは、地元のミュージシャンたちがよくライブをやっていて、今回はそうした人たちと一緒にライブをすることもできた。
 到着した日と出発する日を別にすれば、4日間毎晩ライブをやったわけで、もちろん夕方までの時間は岡本さんと一緒に沖縄のあちこちでDig Music Gazetteの撮影をした。3曲ほどできるといいなと思っていたが、何と6曲も撮影することができた。沖縄に関係した歌もあれば、直接関係のない歌もあるが、どの曲も沖縄で撮影す る意味がしっかりとあるものばかりだと思う。
 最初にアップされるのは、ピート・シーガーの「Waist Deep In The Big Muddy」を日本語に訳した「腰まで泥まみれ」。この歌はピートが1966年に書いて、67年の夏にリリースしたアルバム『Waist Deep In The Big Muddy And Other Love Songs』に収めたものだが、ぼくは67年の秋に来日したピートがステージで歌ったこの歌に強烈すぎる衝撃を受け、すぐに日本語の歌詞をつけて歌い始めた。
1960年代半ば、アメリカがベトナムを侵略する戦争を始め、どんどん深入りして、泥沼化していくことを痛烈に批判した歌だが、過去のできごとを歌った昔の物語歌などでは決してないと思う。ぼくは今の日本、とりわけ2011年3月11日の大震災や原発事故の後の日本のことを歌った歌でもあると強く受けとめて歌い続けてい る。そしていちばん沖縄で歌って撮影したかった歌でもある。
 原発再稼働? 原発新設? 原発海外輸出? 被災者支援打ち切り? 何よりも経済が、お金が大事だなどと、いまだに「進め!」、「進め!」と叫び続けている「BIG FOOL」たちに、ぼくらは絶対についていかない。自分たちで考え、自分たちで行動して行く。

(中川五郎)



ディグミュージックガジェットbootleg 01

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Dig Music Gazette bootleg 01「25年目のおっぱい」

その日、僕と五郎さんは、早ければ今年始まる再開発で消えていく那覇の農連市場の橋の上で「同じ目の高さで」の収録を終え、上機嫌で栄町市場へとやって来た。
一時は寂れてしまった栄町市場も今は昼間はおじーやおばー、夜は若者達を中心に再び賑わいを取り戻している。
沖縄生まれで下北沢周辺に長く住んだホールズが数年前に沖縄に戻ってきて開いた「サワディー」でのライブは沖縄ではめずらしくオンタイムで始まる。
まずはホールズが何曲か歌い、五郎さんへとバトンタッチ。
60代のラブソング「言わなくていいよ」から静かに始まり、ジャック・ブレルのカバー「瀕死の人」、福島に留まる人と離れる人のことを歌った「二倍遠く離れたら」などを歌い、「一台のリヤカーが立ち向かう」を熱く、「ミスター・ボージャングル」では踊りながら歌った。
ホールズのエレクトリック・ギターと共にルー・リードの「ビック・スカイ」を激しく歌い終えた後のアンコールで歌ったのがこの「25年目のおっぱい」だ。
僕もそうだったけれど、このおっぱいの歌が、この日五郎さんの歌を聞きに来てくれた人の心を捕らえた。 極私的な出来事を真っ直ぐに社会に投げ出して歌う時に、それは五郎さんの出来事ではなくなって聞き手の出来事と重なり合う。
35年以上前に作った歌を昨日の出来事のように歌う五郎さんをぜひご覧下さい。
※今回は新作リリース前の"bootleg"バージョンです。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com



ディグミュージックガジェット06

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Dig Music Gazette 06「ほんものとにせもの 〜False From True〜」

Dig Music Gazetteの第6弾は、前回に続いてピート・シーガー作の「ほんものとにせもの 〜False From True〜」。
前回の「丸々赤ちゃん」が人々の日常を歌う歌なら、この「ほんものとにせもの」は世の中の不正に抗議し、闘う側の人々を歌った歌。

今、アメリカでは新自由主義に対する抗議が、「ウォールストリートを占拠せよ」というスローガンのもとに、デモというかたちで急速に広がっている。
そこにも92才のピート・シーガーは元気な姿で登場し、歌い、行進し、またその姿はYouTubeを通じて全世界に配信された。
今年春にニューヨークでピートと会った中川五郎さんもその姿に刺激されたことをTwitterで伝えている。

彼もまた、考え、抗議する人々の傍らで歌うことを忘れない。
この映像も、世界中の動いている人の近くに寄り添い、みんなを少しでも元気にすることが出来たなら、素晴らしい事だと思う。

(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

ピート・シーガーが1968年に作り、同じ年に発表されたアルバム『NOW』に収めた「False From True」を日本語にして歌いたいと思ったのは、2008年のアルバム『At 89』で、ピートがこの歌を改めて歌っているのを聞いてからだ。
そして2009年の夏に日本語詞ができあがり、それからライブでよく歌っている。
日本語のタイトルは「ほんものとにせもの」にした。
ほんものかにせものか、白か黒か、右か左か、きっぱりと二つに分けられないのはよくわかっている。
ぼくの大好きな茨木のり子さんの有名な詩「生きているもの 死んでいるもの」でも、「生きているもの 死んでいるもの/ふたつは寄り添い 一緒に並ぶ/いつでも どこででも 姿をくらまし/姿をくらまし」と歌われている。
さまざまなふたつのものは巧妙に溶け合っているから、そのふたつをきっぱりと見分けるのはほんとうに難しい。でもぼくらは一人一人、何がほんもので何がにせものなのか、自分で考え、自分で判断しなければならないと思う。特に2011年3月11日以降は、そうすることは自分たちが生きること、自分たちが生き延びて行くこと、それこそ地球が続くことと不可欠になっていると思う。
ピート・シーガーは『At 89』のライナー・ノーツでこの曲について、フルシチョフが1956年の党大会でスターリンの非道行為についてぶっつけ本番の演説をした後、アメリカの共産党員の9割が離党したというエピソードを伝え、「何がほんもので自分たちが生きていく上で誰が大切なのか、自分自身で決めなければいけない」と書いている。 

(中川五郎)



ディグミュージックガジェット05

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Dig Music Gazette 05「丸々赤ちゃん」

中川五郎は「一台のリヤカーが立ち向かう」や「腰まで泥まみれ」のようなプロテストソングを歌う。
中川五郎は「また恋をしてしまったぼく」や「そしてぼくはひとりになる」のような<ダメな僕>を歌う。
そして、中川五郎は「祝婚歌」や「丸々赤ちゃん」のような生活を見つめる歌を歌う。
そのすべてが中川五郎。

今年の6月に憧れのフォークシンガー、ピート・シーガーに会ってからの五郎さんは、前にも増して何処へでも行き、どんな場所でも歌う。
みんなの中に歌を投げ、客席から返されたものをまた歌に託して唄い続ける。

「丸々赤ちゃん」はピート・シーガーの歌だが、かつて「25年目のおっぱい」を歌った中川五郎自身に対するアンサーソングのようにも聞こえる。
原発や差別に反対する歌を歌う男が子どもや孫、そして老いていく自分を重ね合わせて歌う「丸々赤ちゃん」を多くの人に聞いて欲しい。

MIDI RECORD CLUBのウェブマガジンに中川五郎さんのピート・シーガー訪問記が掲載されています。

夢が叶った。ピート・シーガー訪問記。前編

夢が叶った。ピート・シーガー訪問記。後編



(岡本尚文)       岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

2009年5月、ぼくの娘が子供を生んだ。つまりぼくはおじいちゃんになった。娘とは一緒に住んでいないし、近くに住んでもいなくて、それとは別にさまざまな事情もあって、孫とはあまり会うことができない。でもたまに会うことができる孫娘はとんでもなく可愛い。
自分に子供ができた時、ぼくはまだ25歳で、まだまだ自分のことで精一杯で、子供とどう向き合えばいいのか、どう子育てすればいいのかまるでわからなかった。あまりにも近くてわけがわからなくなることももあった。でも娘を間に挟んで孫を見ていると、子供とは、子育てとはということがとても冷静に見えて来る。孫ができて、親とは何かということを今一度確かめられるようにも思える。
そんな親の気持ち、子供の気持ちが、簡潔ながらも鋭く歌われているのが、「Little Fat Baby/丸々赤ちゃん」だ。ぼくはピート・シーガーが2008年、89歳の時に発表した『At 89』の中で歌われているこの曲を聞いて強く心を揺さぶられ、すぐに日本語の歌詞を作って歌い始めた。
一番の歌詞とメロディはピート・シーガーが1982年に作り、1992年頃にデヴィット・バーンズが2番と3番の歌詞を作り、やはり同じ頃にピートとデヴィットが最後の歌詞を共作して、ピートの『At89』の中でうたわれているかたちになった。

(中川五郎)



ディグミュージックガジェット04

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English version subtitle  英語字幕版はこちらをご覧ください。

Dig Music Gazette 04「二倍遠く離れたら 」

中川五郎さんとのDig Music Gazette第4弾は「原発事故」を歌った「二倍遠く離れたら」。
まずは歌と映像を見て下さい。

この歌が収録されたのは7月初旬。その後、五郎さんがライブで歌う中で歌詞が変わりました。
当初は留まっている側から歌われていた歌が、離れていった側からも歌われ、両者の関係性が歌になりました。
歌も映像も発表した時点で作者を離れて社会に出て行きます。
その離れて行ったものを受け取ってまた社会へと返していく行為に歌が生きている姿を見ました。
新しく、生きている歌をDig Music Gazetteでご覧下さい。


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2011年3月11日の大地震と、それによって引き起こされた東京電力の福島第一原子力発電所のとんでもない大事故。
 とんでもない事故が起ったと誰もがわかっていても、その実態はなかなかわからない。政府や原子力保安院、東京電力は、持っている情報をすべて明かさず、いったいどんな事故なのかも説明せず、「大丈夫だ」、「心配することはない」を繰り返すばかり。
 そんな「大本営発表」はまったくの嘘っぱちだということをマスコミは知りながらも、真実を追究しようとはしない。ほんとうはとんでもないことになっているはずだと、いろいろと動き回ったり、自分の考えを述べたりする人たちに対しては、「不安を煽っている」、「パニックを引き起こそうとしている」といった言葉が投げかけられたりする。
 どうなっているのか真実はわからず、何を信じればいいのかもわからない状況が続く中、第一原発の近くの福島や茨城の人たちだけではなく、ぼくの住んでいる東京でも、放射能が恐ろしい、ここにいたら危ないのではないかと、遠くに「避難」する人たちが次々と現われた。
 そしてそんな人たちに対して、「大本営発表」を鵜呑みにしたり、自分で考えたり調べたり何もしようとしない人たち、すなわち事態の深刻さにまったく気づいていない人たちは、「騒ぎ過ぎだ」、「不安を煽るな」という非難を浴びせかける。とんでもない事態に対して、ほんとうは力を合わせて立ち向かわなければならないはずの人たちの間で、対立が生じてしまっているのだ。
 その時ぼくが思い浮かべたのが、「二倍遠く逃げたなら 二倍強く思ってください」というフレーズだった。遠くへ逃げるのは、自分だけが助かりたいという利己的な気持ちからではなく、より強く思い、深く考え、大きく行動するためであってほしいというぼくの思いをそこに込めた。しかし「逃げる」という言葉は、どうしても「自分さえ助かればいい」という利己的でネガティブなニュアンスが付きまとうので、「逃げる」を「離れる」に変えることで、遠ざかる行為、遠ざかろうとする判断に、よりポジティブな意味合いを与えようとした。
 そして「二倍遠く離れたら」という歌ができあがり、ぼくはとどまった側の人が離れた側の人に呼びかける歌として、最近のライブで必ず歌っていた。

 しかし昨日、8月10日に東京の日比谷野外音楽堂で開かれた制服向上委員会プロデュースの集会『げんぱつじこ 夏期講習』で、生まれ住んだ福島県飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの話を控室で直接聞き、離れた人のあまりにも強い思いに気づかされ、ぼくはその集会で「二倍遠く離れたら」を歌う直前に、3番の歌詞の最後を書き変えることにした。
 もちろん強制的にふるさとを離れなければならなかった長谷川さんをはじめとする飯舘村の人たちと、「だいじょうぶだ」、「騒ぎ過ぎだ」と冷たい目で見る人たちがまだまだ多い中で東京を離れた人たちとでは、その立場や思いは違うところもいっぱいあるだろう。でもぼくは長谷川さんが無念の気持ちや怒りでいっぱいになって語ってくれた話を聞いて、この歌の3番の最後の部分を離れた人のポジティブな気持ちをもっとストレートに伝えるものにしようと思ったのだ。
 この日からぼくが歌い始めた「二倍遠く離れたら」は、この映像で歌っている歌詞とは違って、こんなふうに変わっている。 「二倍遠く離れたら 二倍強く思っています/五倍遠く離れたら 五倍大きく動いています/二倍強く思って 二倍深く考えています/五倍大きく動いて 五倍この国を変えてみせます」

(中川五郎)



ディグミュージックガジェット03

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Dig Music Gazetteの第3弾は「FOR A LIFE 」

中川五郎さんとのコラボレーションであるDig Music Gazette。
当初、あらかじめ決まった方向性を持って始めた訳ではなかった。
「1台のリヤカーが立ち向かう」がすべての始まり。
1人の人間の歌う歌が、彼の口から世界に放たれてどこへ向かっていくのか。

僕自身が歌い手と関わり、それを世界に放つことで、歌と映像が変化していく様をほんの少しでも知ることが出来るのではないかと思った。
そんな行くあてのない「歌と映像の旅」を始めようと思っていた矢先に起きた東日本大震災。 それがDig Music Gazetteの行く先を導き出した。

今、歌と映像について考える時、震災によって起こった出来事を避けて通ることは出来ない。 歌も映像もそのこと自体を歌い、映す訳ではないけれど、3月11日以降、ずっとその重い荷物を背負っている。
この先、その荷物を下ろすことも多分、無いだろう。

「生きているためには何が必要?」
「本当に必要なものは何?」
と最初に歌われた時、ソマリヤやリオ・デ・ジャネイロの貧しい子どもたちと、日本の子どもたちとは違う世界に立っていた、のだろう。
けれど、3月11日を経た今、「FOR A LIFE 」で歌われる子どもたちはみな、同じ地平に立っていることに気付く。

今回の「FOR A LIFE 」が倉庫のようなスタジオで歌われた時、
僕の頭の中では後期ビートルズの演奏が降りて来ていた。
PANTAさんの作ったそのメロディのせいだろうか。
アビーロードスタジオで録られたリンゴ・スターのドタバタとしたドラムスと弦楽器の響き。 五郎さんの弾くギターと古館純のベース。
それにドラムスと弦の音を友人の北里玲二にオーバーダビングしてもらい、
出来上がったのが今回のDig Music Gazette_03。


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ディグミュージックガジェット02

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中川五郎「祝婚歌」

中川五郎さんは20代の時に、極私的であり、またそのことが逆説的に、
大きく社会的なアルバム『25年目のおっぱい』を発表する。
「祝婚歌」は詩人・川崎洋さんの詩に中川さんが曲を付けて歌い、
『25年目のおっぱい』に収録された。


2011年3月11日。地震、津波、そして原発事故。
今も被災し避難している人々。
その土地に残る人、残らざるをえない人、強制移住させられた人。
自主的に異なる土地へ移住する道を選んだ人。
積極的に動いて被災地へ駆けつける人。離れた土地から思いを馳せる人。
どこへ行こうと、どこに居ようとも生活は続く。
そして、新しい出会いや別れがある。
そんな今こそ「祝婚歌」を歌って欲しいと思った。
光のない時代に誰かと誰かが出会い、同じ方向に向かって歩き出すことへの門出の歌を
歌ってもらおうと、Dig Music Gazette02 に収録しました。

35年前、中川五郎さんが20代の時に作った歌が今、また輝き出す。

(岡本尚文)      岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

リンク用タグ⇒ http://bit.ly/m7lYAh
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Dig Music Gazetteシリーズに寄せて #2

ぼくにとってDig Music Gazetteは、ライブに来られない人のために自分のライブを届けられる新しい手段だと思っている。
毎回一曲だけだが、岡本尚文さんのまったく作りごとのないリアルな映像と音は、ライブそのものだ。
しかもライブでぼくが歌う前に喋っていることも併せて収められる。
歌を届ける新たな方法が急激に広がっている中、ぼくはDig Music Gazetteに、大きな可能性を見つけ出している。
15回も続けば、それこそぼくのライブが丸ごと見られることになる。でもほんとうのライブにもぜひ足を運んでください。

(中川五郎)

ディグミュージックガジェット01

リンク用タグ⇒ http://bit.ly/kVz0hR
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English version subtitle  英語字幕版はこちらをご覧ください。

中川五郎「一台のリヤカーが立ち向かう」。
昨年10月、沖縄県辺野古での「ピース・ミュージック・フェスタ」で
中川五郎さんと2日間一緒に過ごす。
そのきっかけはTwitter。
そこで歌われた「一台のリヤカーが立ち向かう」を聴いてスイッチ・オン。
五郎さんと何か始めようと思った。
まず、「一台のリヤカーが立ち向かう」を映像に収めること。
歌と向き合い、その歌が生まれた背景とともに。
辺野古から半年過ぎ、完成間近という時に東日本大震災。
そして原発事故。
偽物と本物。
真実と欺瞞。
仮面をかぶった者の仮面は剥げる。
3月11日以前と以後は存在する。
中川五郎は3月11日以前から3月11日以後の世界を歌っている、
希有なシンガーだと僕は思う。

フォークシンガー中川五郎は歌い続ける。

(岡本尚文)      岡本尚文について⇒ http://okamotonaobumi.com

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Dig Music Gazetteシリーズに寄せて

ツィッターのようなソーシャル・ネットワーク・サーヴィスの動きがさかんになり、ぼくもそれらに参加して、貴重な情報を得たり、いろいろと恩恵を受けたりしている。

2010年10月に沖縄の辺野古ビーチで開かれた「ピース・ミュージック・フェスタ」でぼくが歌えるようになったのも、主催者のツィッターでのつぶやきを見て、ぼくがすぐにつぶやき返したことがきっかけだった。そして今回から始まるこの「動画シリーズ」も、プロデューサーでカメラマンの岡本尚文さんとぼくがツィッターを通じて知り合い、「ピース・ミュージック・フェスタ」で実際に会って、その後も会場だけにとどまらず、ぼくらの関係が密接に続いて行った中から生まれて来たものだ。

「ピース・ミュージック・フェスタ」でぼくが歌った歌だけではなく、最近のぼくの歌を、岡本さんは連続してビデオで収録し、それをいろんな場所で発表しようとしてくれている。ソーシャル・ネットワーク・サーヴィスを通じて知り合ったぼくらが、今度はソーシャル・ネットワーク・サーヴィスを通じて、いろんな人たちに発信して行くのだ。

それこそぼくが歌い始めた頃は、ライブやコンサート以外は、レコードでも作らないかぎり、遠くの誰かに自分の歌を聞いてもらえることはほとんど不可能だった。しかし今はいくつものソーシャル・ネットワーク・サーヴィスを通じて、どこにでもすぐに自分の歌を届けられるようになった。

歌は何よりも聞いてもらうためにあるとぼくは思う。いつまでも古いやり方にしがみつくのではなく、ぼくは自分の歌が一人でも多くの人の耳に届くよう、新しいやり方を積極的に取り入れていきたい。

沖縄の辺野古ビーチでの「ピース・ミュージック・フェスタ」から4か月ちょっと後の3月11日、東日本大震災が起り、日本は大変な岐路に立たされている。東京電力の原子力発電所の大事故、被災者に対する政府の冷たい対応、そして今こそ強い日本はひとつにという大同団結の風潮。それらを直接歌う、歌わないは別として、今こそ歌の力が、歌の意味が、歌の役目が真剣に問われているとぼくは思う。

そんな中、ぼくは岡本さんと一緒に、しっかりと地に足をつけ、それでいて自由に動き回るしなやかさも身につけながら、新しい歌を新しいかたちで届けるこのシリーズに全力で取り組んで行きたい。

(中川五郎)

中川五郎の顔 中川五郎/なかがわごろう/Goro Nakagawa

1949年大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、
曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動の中心に。
90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説など
さまざまな翻訳も行っている。

アルバムに『終わり・始まる』(1969年、URC)、『25年目のおっぱい』(76年、フィリップス)、 『また恋をしてしまったぼく』(78年、ベルウッド)など。
2004年の春には26年ぶりのアルバム『ぼくが死んでこの世を去る日』をリリースし、
最新アルバムは2006年秋の『そしてぼくはひとりになる』(シールズ・レコード)。

著書に音楽の原稿を纏めた『未来への記憶』(話の特集)、 70年代のフォーク・リポートわいせつ裁判に関する文章をまとめた『裁判長殿、愛って何』(晶文社)、 小説『愛しすぎずにいられない』(マガジンハウス)、『渋谷公園通り』(ケイエスエス出版)、 『ロメオ塾』(リトルモア)、訳書に『U2詩集』や『モリッシー詩集』(ともにシンコー・ミュージック)、 ブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、紀行文集『ブコウスキーの酔いどれ紀行』、 晩年の日記『死をポケットに入れて』、ハワード・スーンズによる伝記『ブコウスキー伝』(いずれも河出書房新社)、 ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ミッドナイト・オールデイ』、 『パパは家出中』(いずれもアーティスト・ハウス)、『ボブ・ディラン全詩集』(ソフトバンク)などがある。

1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でさかんにライブを行なっている。

http://www.myspace.com/goronakagawa
http://www.goronakagawa.com/





*Dig Music Gazetteとは
中川五郎と岡本尚文がコラボレーションして歌と映像を届けるシリーズの名称。
DigはDigitalとDig itのダブル・ミーニング、Gazetteは新聞。
月一回の更新を予定しています。

Dig Music Gazetteの映像はリンクフリーでお使いいただけます。
(事後報告で構いませんので life-goes-on@okinawa.email.ne.jp 宛にご連絡下さい)



*Dig Music Gazetteとは
中川五郎と岡本尚文がコラボレーションして歌と映像を届けるシリーズの名称。
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 フォトグラファー
 岡本尚文Official Site