また見つけたよ-友部正人

『また見つけたよ』友部正人 1973年

1973年発売。その後、差別用語が使用されているという理由で販売されていなかったが、2004年インディーズレーベルSKYSTATIONよりCD化された。
このアルバムには2曲、沖縄についての唄がある。「公園のD51」と「なんてすっぱい雨だ」。公園のD51とは那覇の与儀公園に置かれた機関車(これは今も与儀公園に置かれている)。すっぱい雨とはコザのコザ十字路に降る雨。
ギターだけの伴奏で歌われる歌は言葉が起立し、何者も寄せつけようとはしない。
言葉が次々と紡ぎ出され、様々なイメージを喚起する歌はとても映像的だ。通常は物語の完成に向かって言葉をつなぎ合わせていくものだけれど、彼の歌は方向の違う言葉やイメージが重なり合って結果的に1つの物語が作られていく。これは1960年代にボブ・ディランが「Subterranean Homesick Blues サブタレニアン・ホームシック・ブルース」などで完成させた方法だが、それを日本語で自分のものとした数少ない表現者であり、想像力というものがどんどん欠如していく時代に想像力を喚起させる歌を歌える詩人が友部正人だ。
1978年、18歳。竹中労の「琉歌幻視行」をリュックに入れ、テントをかついで沖縄を歩いている僕の頭の中には「なんてすっぱい雨だ」と「公園のD51」が鳴っていた。

(友部正人は1960年代末に路上で歌い始めたフォークシンガー。そのイメージがイメージを呼び、何処へたどり着くのか予期せぬ歌詞によって日本のボブ・ディランとも言われた。現在に至るまで日本中で歌い続け、そのフォロワーは多い。1975年に発売された『誰も僕の絵を書けないだろう』には当時芸大院生だった坂本龍一がピアノで参加している。 今まで30枚以上のアルバムを発表してきたが、そのうちの3枚が差別用語ということで発売会社によって自主規制=発売中止になっている。これは何を持って差別用語というのかを含め、いまだに解決されない多様な問題を提起している。 近年はニューヨークにも住居をかまえ、日本とアメリカを行き来して活動を続けている。)

友部正人オフィシャルホームページ

YouTube 友部正人 あいてるドアから失礼しますよ

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