なぜ植物図鑑か-中平卓馬映像論集

私が持っている『なぜ、植物図鑑か』中平卓馬(晶文社)の奥付は(1977年2月20日5刷)となっている。
多分、初めての沖縄行き(1978年)前後の時期に『主体の転換』粉川哲夫(未来社)、『たたかう音楽』高橋悠治(晶文社)、などと併せてこの本を手に入れたのだ。
『なぜ、植物図鑑か』の中で中平卓馬は、事物を見るということは常に事物にも見返されることであり、「それは、一片のポエジーも介入する余地はない。
もし、ポエジーが、詩が生まれるとするならば、この私の視線と事物の視線のまったき非和解性、その敵対性に目をつぶり、私の<気分>によって事物の輪郭をぼやかす時にしかあり得ない。
それはあきらかに<私の思い上がり>であり、と同時に、私の<眼の怠惰>だ。(p28)」と言っている。
制度化された「見る」ということから離れて、自らも解体される程に事物と出会うこと。
それは、ロラン・バルトが『明るい部屋』(みすず書房)のなかで「プンクトゥム」と名付けたものに繋がっていく。

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