HOSONO HOUSE-細野晴臣

『HOSONO HOUSE』 細野晴臣 1973年

東京の北西、埼玉県狭山市に稲荷山公園がある。アメリカ空軍の「ジョンソン基地」があった場所で、通称ハイドパークと呼ばれていた。
1960年代末頃から、このあたりのいわゆる「米軍ハウス」にアメリカ文化に憧れた若者達が移り住み始める。
1972年に「はっぴいえんど」を解散した細野晴臣は初めてのソロアルバム『HOSONO HOUSE』を自分自身の住居である狭山・アメリカ村の「ハウス」に16トラックの録音機材を持ち込んで制作する。それは60年代末のアメリカでザ・バンドがビックピンクと呼ばれる山荘の地下室やサミー・デイビス・ジュニアの邸宅を使って録音し、70年初頭にはジェームス・テイラーが木造の別荘を使って録音したアルバムが醸し出す空気感や音響に影響されてのことでもあった。
スタジオに比べたら遙かに狭い木造の「ハウス」のリビングではあったが、そこに楽器を持ち込み、ミュージシャンが寝泊まりしながらの録音はお互いの出す音が反響し合うむずかしい状況ではあったが、東京の密閉されたスタジオでヘッドフォンを着けながらの録音とは違うリラックスした雰囲気と唯一無二の音響を産み落とした。
また、そこで歌われる歌詞は一見無防備なアメリカ幻想と受け取られがちだが、実はとても冷静かつ客観的であり、そこから見える落とし穴について歌うことも忘れていない。
アメリカの音楽への憧れを擬似アメリカンライフの中に自らまみれるというその潔さを細野氏は自嘲的に「若気の至り」と振り返る。しかし、模倣を徹底化することによって、彼はアメリカを対象化し、より深い音楽の旅へと出発した。

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